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被災地で感じたこと


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2730日まで、東日本大震災の被災地である岩手県大槌町に微力ながら医療救護として行ってきました。4日間と僅かな時間ではありましたが、心に残る経験となりました。

岩手県大槌町は、湾岸周辺を中心地とした、水産業が中心の町です。素晴らしく綺麗な海をもち、ひょっこりひょうたん島のモデルとなった島がある港町でした。しかしその綺麗な町は、平成23年3月11日の地震(M9)後の津波により押し流され、町長をはじめとする多くの方々の命が奪われました。

行政機能が麻痺し、残された地域住民だけでの被災地復興を余儀なくされております。壊滅した町をどのように復興していけばよいのかを考えることは、今まで築き上げた財産(人・物・金)を一瞬にして失ってしまった町民には大変困難なことでしょう。それでも、町民たちは戸惑いながらも手と手を取り合い、お互いを励まし合いながら、苦しい中笑顔で頑張っておられました。暴動も犯罪も起こさず、真面目に自分に与えられた作業を復興の為に、嫌な顔一つせずに、黙々と全員が行なっていたことには脱帽いたしました。これこそが第2次世界大戦後の日本が世界に飛躍した真髄であると思いました。

私は主に被災した県立大槌病院の仮設診療所(小槌神社内)に勤務となりました。内科医師が主に手掛けた診療所ですので、外科や整形外科系の器材がなく、私たちは茨木市から現地に器材を持ち込みました。患者の多くは慢性疾患で、長期の仮住居で精神的、肉体的にも衰弱している方が殆どでした。外傷の多くは壊滅した自宅の瓦礫をどけた時や、食事の仕込みの時の怪我が多かったです。復興が進むにつれ屋外に出る方が増加した時に事故が多発する恐れがあります。今後の対策として大槌町は岩手県の中心地の病院と医療連携を考えています。

私は避難所である体育館(寺野弓道場)で、避難した多くの人を精神的・肉体的にサポートする植田俊郎医師に出会いました。植田医師は自宅兼診療所が津波の被害に遭い自身も被災者であるのにも関わらず、診療所からダメージのない機材や薬等を体育館に運び、『これまでお世話になった方々への恩返し』といって無償で治療をしていました。 → 2011年7月  植田医師からお手紙を頂きました。

『人の噂は75日』と言われます。これほどの被害に遭った大震災であっても人々の関心は時間と共に薄れていくでしょう。しかし、実際に被災に遭われた方々はそういうわけにはいきません。復興には時間がかかります。

今後、私達がしなければならないことは、被災地の方々から発信される情報に耳を傾け、支援を継続的に行うことではないでしょうか。

< 岩手県釜石市災害対策本部 > <岩手県立大槌病院の仮設診療所>
< 岩手県立大槌病院 >
< 岩手県立陸前高田病院 >
<被災地 の様子>
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